【河(カ)の清(す)むを俟(ま)つも、人壽(ジンジュ)幾何(いくばく)ぞ。】と読みまして、黄河の濁った水の澄むのを待っても、人の寿命は短くて待ちきれない、という意味です。
いくら待っていても実現する見込みのないたとえでもあります。
【百年河清を俟つ】と使われることが多いです。
それの原典となっているのが【河の清むを俟つも、人壽幾何ぞ。】です。
出典は『春秋左氏伝』㐮公八年です。
B.C.565年、「鄭」が、「蔡」を討伐しました。
「鄭」も「蔡」も春秋時代の、当時としては小さな国です。「蔡」は「楚」の属国でしたから、「楚」は仕返しとして「鄭」に攻撃を仕掛けてきました。
「鄭」では即刻会議をひらいて対策を協議しました。そのとき宰相の子駟(しし)が言いました。
子駟曰、
子駟(シシ)曰く、
子駟が言いました、
周詩有之、曰、
周詩(シュウシ)に之(こ)れ有(あ)り、曰く、
周の詩に次のようにあります、
俟河之清、人壽幾何。
河の清むを俟つも、人寿(ジンジュ)幾何(いくばく)ぞ。
黄河の濁った水が澄むのを待っていたら、人の寿命ではとてもたりない。
兆云詢多、職競作羅。
兆(チョウ)して云(ここ)に詢(はか)ること多ければ、職として競(きそ)いて羅(あみ)を作(な)す、と。
占をして謀る者が多ければ、銘々の謀(はかりごと)をよしとして競い合い、
そのうち網にかかって動きのつかぬことになってしまう、とあります。
ここは一つ楚に従っておいて、国民の苦しみを緩和しよう。強い方について民を守ろう。
敵が悪いことをせず、民が苦しまないなら、それでもいいじゃないか。
一見 子駟は国民思いの立派な人に見えますが、反対派を粛清したり、君主になろうとしたり結構な野望を持った人でした。最終的には殺されてしまいます。