【善を爲(な)す者は、天之(これ)に報(むく)ゆるに福を以(もっ)てす。】と読みまして、善を行う者には、天は幸福を以て報いるという意味です。
出典は『荀子』宥坐(ユウザ)篇です。
孔子が陳(チン)・蔡(サイ)両国のあたりで困窮に陥った時、弟子の子路が言った言葉です。
孔子南適楚,厄於陳蔡之閒,
孔子南のかた楚に適(ゆ)かんとして、陳・蔡の間に厄(くるし)めらる。
孔子は、南方の楚の国に行こうとしたその途中、陳・蔡の二国のあたりで大困難にあった。
七日不火食,藜羹不糂,弟子皆有飢色。
七日火食(カショク)せず、藜羹(レイコウ)糂(サン)せず、弟子皆飢色(キショク)有り。
七日間も火を使った食事はせず、藜(あかざ)の濃い汁だけで米粒をまぜることもせず、
弟子たちはみな飢えた顔つきになった。
子路進,問之曰
子路進みて之に問うて曰く、
そこで子路が進み出て問いかけた、
由聞之、
由(ユウ)之を聞く、
私(由)はこう聞いています、
為善者天報之以福,
善を爲す者は、天之に報ゆるに福を以てし、
善を行う者には、天は幸福を以て報い、
為不善者天報之以禍,
不善を爲す者は、天之に報ゆるに禍を以てす、と。
不善を行う者には、天は禍を以て報いる。
今夫子累德積義、懷美行之日久矣,
今夫子德を累(かさ)ね義を積み、美行を懷(いだ)くの日久し
今、先生は德に厚く正義を積み重ねて立派な行いを長い間つづけておられますのに、
奚居之隱也。
奚(なん)ぞ居(キョ)の隱(くるし)きや、と。
どうして生活が窮迫するのでしょうか。