ニコラ・ド・コンドルセ(1743年9月17日~1794年3月29日)は、18世紀フランスの数学者、哲学者、
政治家。社会学の創設者の一人と目されている。
1758年(15歳) パリのコレージュ・ド・ナヴァールに入学
卒業後、『積分論』などで名声を得ました。
テュルゴーやヴォルテールなどの啓蒙思想家と交遊。
『百科全書』では経済学の項目に執筆。
1782年(39歳) フランス学士院(アカデミー・フランセーズ)会員に。
フランス革命が勃発すると政治家に転じました。
当初は立憲王党派でしたが、ヴァレンヌ逃亡事件以後は王制廃止に傾きジロンド派に近づきました。
立法議会のジロンド与党期には財務委員や公教育委員会委員長となりました。
特に公教育委員会委員長として公教育改革法案を提出,後のフランス公教育の礎を築きました。
1793年(50歳) ジロンド憲法草案を作成するものの,ジロンド派の失墜と追放の際には非難され,
恐怖政治下においてジロンド派への協力者として投獄されました。
『人間精神進歩史』は逃亡中に執筆されたものだが,未完のまま、逮捕されてしまいました。
1794年(51歳) 獄中で服毒自殺をはかりました。