【人を責(せ)むるの心を以(もっ)て己(おのれ)を責めよ】と読みまして、他人を責めるような厳しい心で、自分を責めるようにしなさい、という意味です。
出典は『小学』嘉言第五篇です。
范忠宣公戒子弟曰、
范忠宣(ハンチュウセン)公、子弟を戒(いまし)めて曰く、
范忠宣公が子弟を戒めて言うには、
人雖至愚責人則明、
人、至愚(シグ)と雖(いえど)も人を責むるは則ち明かに、
人はどんな愚かな人でも、他人を責めるときは、厳しく責めるものであり、
雖有聦明恕己則昏。
聦明(ソウメイ)有りと雖も己を恕(ジョ)するは則ち昏(くら)し。
反面、物事がよくわかっている人でも、自分の過失には寛大になってしまうものだ。
爾曹但常以責人之心責己、
爾(なんじ)の曹(ともがら)但(ただ)常に人を責むるの心を以て己を責め、
だから、ただいつも他人を責めるような気持ちで自分を責め、
恕己之心恕人、
己を恕するの心もて人を恕(ゆる)せば、
自分を許すような気持ちで、他人を許すように努めれば、
不患不到聖賢地位也。
聖賢(セイケン)の地位に到らざるを患(うれ)えず。
聖人賢者になれないことを気にすることはない。