【人閒(ジンカン)は夢の如し。】と読みまして、人生は夢のようにはかないものである、という意味です。
蘇軾の『念奴嬌:ネンドキョウ』という詩に【人閒如夢:人の閒(よ)は夢の如し】として詠われています。
長い詩です。【人閒は夢の如し】は最後に出てきます。
蘇軾(ソショク:1036年~1101年)は北宋第一の文化人であり政治家。字は子瞻(シセン)。号は東坡(トウバ)。三蘇の一人で、父:蘇洵(ソジュン)が老蘇、弟:蘇轍(ソテツ)が小蘇と呼ばれていたのに対して、
大蘇と呼ばれていました。
念奴嬌 蘇軾
大江東去
大江(タイコウ) 東に去り
長江は東に流れ、
浪淘盡、千古風流人物
浪(なみ)は淘(あら)い盡(つ)くす、千古風流(センコフウリュウ)の人物を
波は千年来の風流人たちをすべて洗い流していった。
故壘西邊
故塁(コルイ)西の辺(ヘン)
古いとりでの西のあたり
人道是、三國周郞赤壁
人は道(い)う是れ三国周郞(サンゴクシュウロウ)の赤壁なり
人は言う。これは三国時代、周瑜が戦った赤壁の跡である
亂石穿空 驚濤拍岸
乱石(ランセキ)は空を穿(うが)ち 驚濤(キョウトウ)は岸を拍(う)ち
乱立した石は空を突き崩し、波は岸を打ち、
卷起千堆雪 江山如畫
巻き起こす 千堆(センタイ)の雪 江山(コウザン)は画(ガ)の如し
降り積もった雪を巻き上げる 川も山も絵に描いたようだ。
一時多少豪傑
一時(イチジ)多少(いくばく)の豪傑ぞ
かつてあんなにいた豪傑たちは、どこへ消えてしまったのか。
遙想公瑾當年、
遙かに想う 公瑾(コウキン)の當年(トウネン)、
はるかに思う、公瑾(周瑜の字)はそのころ、
小喬初嫁了、
小喬 初めて嫁(とつ)ぎ了(お)われり、
小喬を娶ったばかり、
雄姿英發。
雄姿は英發(エイハツ)す。
雄々しい姿が輝いていた。
羽扇綸巾、
羽扇(ウセン)と 綸巾(カンキン)、
羽扇を手に、絹の頭巾をかぶって、
談笑閒強虜灰飛煙滅。
談笑の間に、強虜(キョウリョ)は灰と飛び煙と滅す。
(新妻と)談笑する間に、強敵は灰と飛び、煙と消えた。
故國神遊、
故國に神(こころ)は遊ぶ、
ふるき国に遊ぶ魂、
多情應笑我、
多情 應(まさ)に 我を笑うべし、
多感な私は笑われるだろう、
早生華髪。
早(つと)に華髪(カハツ)を生ぜしを。
早や白髪になってしまった。
人閒如夢、
人間(ジンカン)は夢の如し、
人生夢の如し、
一樽還酹江月。
一尊(イッソン)還(ま)た江月(コウゲツ)に酹(そそ)がん。
まずは酒を一尊、江(かわ)に映る月に捧げよう。