【菽麦(シュクバク)を辨(ベン)ぜず】と読みまして、大豆と麦とを見分けることもできないような愚か者をいった言葉です。
出典は『春秋左氏傳』成公十八年です。
春秋時代、B.C.573年晋で君主:厲公(レイコウ)を臣下が弑(シ)するという事件が起こりました。
『春秋左氏伝』に成公十八年の出来事として記載がありましてその中に【菽麦を辨ぜず】がでています。
周子有兄而無慧
周子、兄有りて慧(ケイ)無し
周子には兄がいたが、愚かで
不能辨菽麥。
菽麥を辨ずること能(あた)はず。
菽(まめ)と麥(むぎ)の見分けもつかなかったので
故不可立
故に立つ可(べ)からず。
國君に立つことが出来なかった。