【楽(たの)しんで以(もっ)て憂(うれ)いを忘(わす)る】と読みまして、孔子が自らの学びの境地を述べた言葉です。
出典は『論語』述而第七です。
葉公問孔子於子路。
葉公(ショウコウ)、孔子を子路(シロ)に問う。
(楚の葉県(ショウケン)の知事)葉公が、孔子の人となりを子路に問うた。
子路不對。
子路、対(こた)えず。
子路は即座に答えることができず黙っていた。
子曰、女奚不曰、
子日く、女(なんじ)奚(なん)ぞ日(い)わざる。
(その話を聞いた)孔子が言いました、
「おまえ、どうして言わなかったのか。」
其爲人也、發憤忘食、
其の人と為りや、憤(いきどお)りを発(はっ)しては食を忘れ、
その人柄は、学問好きで、興奮すると食事も忘れるが、
樂以忘憂、不知老之將至云爾。
楽しんで以て憂いを忘れ、老(おい)の将(まさ)に至らんとするを知らざるのみと。
楽しむときは憂いを忘れ、老いの来るのも気がつかずにいる人です、と。