【巧言(コウゲン)、令色(レイショク)、足恭(スウキョウ)なり】と読みまして、口先だけがうまくて、顔色をやわらげ愛想笑いをし、度を過ぎた鄭重さということは、うわべだけを飾って人に接すること、という意味です。
出典は『論語』公冶長第五です。
子曰、巧言令色足恭、
子日く、巧言、令色、足恭、なるは、
孔子が言いました、口先だけがうまくて、顔色をやわらげ愛想笑いをし、
度を過ぎた鄭重さで、うわべだけを飾って人に接することは、
左丘明恥之、
左丘明 (サキュウメイ) 之(これ)を恥(は)ず、
(吾が先輩の)左丘明はこれを恥じたというが、
丘亦恥之。
丘(キュウ)も亦(また)之を恥ず。
私も亦恥ずかしいことと思う。
匿怨而友其人、
怨(うら)みを匿(かく)して其の人を友とするは、
心の底では怨みを抱きながら、表面(おもてづら)だけ親しそうに友達付き合いするのは、
左丘明恥之、
左丘明、之を恥(は)ず、
左丘明は恥じたというが、
丘亦恥之。
丘も亦之を恥ず。
私も亦恥ずかしい。