【人の心は譬(たと)えば槃水(バンスイ)の如(ごと)し】と読みまして、
人の心は恰も水盤の水のようなものである、という意味です。
出典は『荀子』解蔽篇第二十一です。
人心譬如槃水。
人心は譬えば槃水の如し。
人の心は、例えてみると水盤の水のようなものである。
正錯而勿動、則湛濁在下、
正しく錯(お)きて動かすこと勿(な)ければ、則ち湛濁(チンダク)下(しも)に在りて、
まっすぐに置いて動かさなければ重い濁りは下になって
而清明在上、則足以見鬚眉、而察理矣。
清明(セイメイ)上(かみ)在り、則ち以(もっ)て鬚眉(シュビ)を見、理を察するに足る。
表面が清澄になり、十分にひげや眉を写し、肌のきめさえ見分けることが出来る。
微風過之、湛濁動乎下、清明亂於上、
微風之を過ぐれば、湛濁(チンダク)下に動き、清明(セイメイ)上に亂る、
(しかるに)そよ風でも吹いてくると、底の濁りが動き出し、表面の清澄さが乱れ
則不可以得大形之正也。
則ち以て大形(タイケイ)の正を得(う)べからざるなり。
大きなものの形さえ正しく見ることが出来なくなる
心亦如是矣。
心も亦(また)是(かく)の如(ごと)し。
心も水と同様に、外界に誘われやすくなる。