【人は皆是非の窠中(カチュウ)に在りて日を送れり。】と読みまして、人々は皆善悪の中で日を送っている、という意味です。窠中(カチュウ)は、「穴の中」。
出典は『言志晩録』16条です。
人皆在是非窠中送日。
人は皆是非の窠中(カチュウ)に在りて日を送れり。
人々は皆善悪の中で日を送っている。
然多是日閒瑣事、
然るに多くは是れ日閒(ニッカン)の瑣事(サジ)にて、
しかし、取り扱っていることと言えば皆日常の細かい事柄で、
不過利害得失数件。
利害得失の数件に過ぎず。
利益とか損害とか、得をしたとか失敗したとかいうような数件に過ぎない。
如眞是非、
眞の是非の如きは、
(道徳、倫理の上に立った)眞の是非のような大切なことに関しては
則無人討出來。
則はち、人の討(たず)ね出(いだ)し來(きた)る無し。
尋ね出る者はいない
學者須能自覔。
學者、須(すべか)らく能(よ)く自(みずか)ら覔(もと)むべし。
道を学ぼうとする者は是非とも眞の善悪について考えなければならない。