【三人(サンニン)之(これ)を疑わしむれば、則(すなわ)ち慈母(ジボ)も信ずること能(あた)わざるなり。】と読みまして、三人もの人がわが子を疑えば、母はそれが事実ではないかと恐れる、という意味です。
噓もたび重なると、ついには信じられるようになる喩でもあります。
出典は『戦国策』秦策です。
孔子の門人の曾参(ソウシン:B.C.506年~没年?)と同姓同名の者が人を殺し、その知らせが、曽参の母に届きました。
昔者曾子處費。
昔者(むかし)曾子 費(ヒ)に處(お)る。
昔、曾参は費という町に住んでおりました。
費人有與曽子同名族者、而殺人。
費人に曽子と名族を同じゅうする者有りて、人を殺す。
費の人で曾参と同姓同名の者がいて、人を殺しました。
人告曾子母曰、曾参殺人。
人曾子の母に告げて曰く、曾参人を殺せり。
ある人が、曾参の母に、曾参が人を殺したぞ、と告げました。
曽子之母曰、吾子不殺人。織自若
曽子の母曰く、吾が子は人を殺さず。織ること自若たり。
曾参の母は、私の息子は人を殺したりしません。と言って平然と機(はた)を織り続けました。
有頃焉、人又曰、曾参殺人。其母尚織自若也。
頃(しばら)く有りて、人又(ま)た曰く、曾参人を殺せり。其の母尚(な)お織ること
自若(ジジャク)たり。
暫くして、また別の人が、曾参が人を殺したぞ、と知らせましたが、曾参の母は、
それでもなお平然と機を織り続けました。
頃之、一人又告之曰、曾参殺人。
之を頃くして、一人又之に告げて曰く、曾参人を殺せり。
やや暫くして、また別の男が、曾参が人を殺したぞ、と知らせました。
其母懼投杼、踰牆而走。
其の母懼れて杼を投じ、牆を踰えて走れり。
すると、曾参の母は、はっと驚いて杼(ひ)を投げ出すと、垣根を飛び越えて走りだしました。
夫以曽参之賢與母之信也、而三人疑之、則慈母不能信也。
夫れ曽参の賢と母の信とを以てして、三人之を疑わしむれば、則ち慈母も信ずること能わざるなり。
いったい曽参ほどの賢明さとその母の子に寄せる信頼とがありながら、
三人がかりで或乱(ワクラン)されれば、慈母とてじっとしておれなくなるのです。