オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(1854年10月16日~1900年11月30日)は、
アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。多彩な文筆活動をしましたが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに亡くなりました。
1854年 ヴィクトリア朝時代のアイルランドのダブリンに生まれました。
1864年(10歳)ポートラ王立学校に学び、
1871年(17歳)古典語の最高賞を受けて卒業しました。
1874年(20歳)オックスフォード大学に進学しました。
1878年(24歳)長詩『ラヴェンナ』を刊行し、
オックスフォード大学を首席で卒業しました。
1881年(27歳)暮に出航し、翌年暮までアメリカ各地で講演をしました。
1884年(30歳)弁護士の娘コンスタンス・ロイドと結婚し、のちに2男をもうけました。
1886年(32歳)15歳年下の少年、ロバート・ロスと親しくなりました。
1887年(33歳)~1890年(36歳)雑誌『婦人世界』の編集者となりました。
派手な言動で社交界の人気者になったそうです。
1891年(37歳)『サロメ』をフランス語で執筆しました。
16歳年下の文筆家、アルフレッド・ダグラス卿と親しくなりました。
1894年(40歳)ダグラスの英訳の『サロメ』が出版されました。
この前後、ダグラスと共に各地に旅行しました。
1895年(41歳)ダグラスの父から告訴され、
卑猥行為を咎められて投獄されました。
1897年(43歳)服役を終えたときロバート・ロスが迎えました。
そしてセバスチャン・メルモスの仮名で、ダグラスと各地を転々としまた。
このとき世間からは既に見捨てられてしまっていました。
1898年(44歳)奥さんが亡くなりました。墓参したのは翌年、放浪の途次だったそうです。
1900年(46歳)梅毒による脳髄膜炎で亡くなりました。
葬儀はロスやダグラスのほか数人だけの、淋しい葬儀だったそうです。
日本では、森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎がワイルドを翻訳しました。