【貧賤(ヒンセン)に戚戚(セキセキ)たらず、富貴(フウキ)に忻忻(キンキン)たらず。】と読みまして、
貧しく身分が低くても悲しんだりせず、財産や高い地位があってもそれを喜び楽しんだりしない。
貧賤や富貴に心をとらわれないということです。
『五柳先生』は陶淵明の号ですが、そこに陶淵明は自分自身を投影したようです。
【貧賤に戚戚たらず、富貴に忻忻たらず。】は、『五柳先生伝』の賛辞に出ている言葉です。
贊曰、
贊に曰く、
黔婁之妻有言、
黔婁(ケンロウ)の妻(つま)言(い)へる有(あ)り、
黔婁の夫人が、次のように言っていました。
不戚戚於貧賤、
貧賤に戚戚たらず、
貧しく身分の低い身の上を悲しく思うことはなく、
不汲汲於富貴。
富貴に汲汲たらずと。
富と高い身分を得るために勉め励むようなことはしませんでした。
其言茲若人之儔乎。
其の言(ゲン)、玆(これ) 人の儔(ともがら)の若(ごと)きか。
その言葉は、この五柳先生のような人の仲間の言葉でしょうか。
酬觴賦詩、
觴(さかづき)に報(むく)ひて詩を賦(フ)し、
酒の盃の返礼として詩を作って歌い、
以樂其志、
以(もつ)て其(そ)の志(こころざし)を樂(たの)しむ、
そうして大いに自分の志を示していました。
無懷氏之民歟、
無懷氏(ムカイシ)の民(たみ)か、
彼は古代の帝王の無懐氏(ムカイシ)の住民でしょうか、
葛天氏之民歟。
葛天氏(かつてんし)の民(たみ)か。
古代の帝王の葛天氏(かつてんし)の住民でしょうか。