【歡樂(カンラク)極(きわ)まりて哀情(アイジョウ)多し】と読みまして、すべての楽しみをしつくしてしまうと、かえって悲しみの気持ちがわき起こってくる、という意味です。
出典は前漢七代皇帝武帝が作ったとされている『秋風辭』です。
この詩は、武帝が河東(現在の山西省南部)の汾陰(フンイン)に行幸し、后土(コウド:土地神)の祭祀を行なった折、川の中ほどに屋形船を浮かべて、群臣たちと酒宴を催し、上機嫌となって詠んだと伝えられています。
秋風起兮白雲飛
秋風起りて 白雲飛び
秋風が吹き起って 白雲飛び
草木黃落兮雁南歸
草木黃落(コウラク)して 雁 南に歸る
草木は黄ばんで葉を落とし、雁は南へ帰って行く
蘭有秀兮菊有芳
蘭に秀(はな)有り 菊に芳(かお)り有り
蘭は花咲き、菊は香りを放つ
懷佳人兮不能忘
佳人(カジン)を懷(おも)いて忘るる能(あた)わず
それにつけても、佳き人を得たい思いが念頭を去らない
汎樓船兮濟汾河
樓船(ロウセン)を汎(うか)べて 汾河(フンガ)を濟(わた)り
屋形船を汾河に浮かべ、
橫中流兮揚素波
中流に橫(よこた)わりて素波(ソハ)を揚(あ)ぐ
流れのさなかに白波を立てる、
簫鼓鳴兮發棹歌
簫鼓(ショウコ)鳴りて棹歌(トウカ)發す
簫(たてぶえ)の音、鼓(たいこ)の響に和して、舟歌が高まる
歡樂極兮哀情多
歡樂極まりて 哀情多し
歓楽のきわまるところ、哀愁の情が湧き起こる
少壯幾時兮奈老何
少壮幾時(いくとき)ぞ 老いを奈何(いかん)せん
盛りの年も束の間に逝き、迫り来る老いを避けるすべもない