月を看るのは、清らかな気を鑑賞するのであり、
花を見るのは、その生き生きとした花の心を鑑賞するのである。
出典は『言志後錄』140條
看月觀淸気也。
月を看るは、清気を観るなり。
月を看るのは清らかな気を鑑賞するのである。
不在圓缺晴翳之閒。
円欠晴翳の間に在らず。
月が円くなったり、欠けたり、晴れたり、翳(かげ)ったりするのを観るのではない。
看花觀生意也。
花を看るは、生意を観るなり。
花を見るのは、その生き生きとした花の心を鑑賞するのであって、
存於紅紫香臭之外。
紅紫香臭の外に存す。
紅や紫などの色とか、香りのような外に現れたもののほかに見るべきところがあるのである。
「日本の植物学の父」 牧野 富太郎博士も、花の心を観ていたのでしょう。