【窮鳥(キュウチョウ)懐(ふところ)に入るは、仁人(ジンジン)の憫(あわ)れむ所なり】と読みまして、追い詰められた鳥が、人の懐中に逃げ込んでくる。困窮して助けを求めてきた者のたとえ。
そのような時には、理由を問わず助けるのが人の道である、ということを表した言葉です。
よく耳にしますのは、「窮鳥 懐に入れば猟師も殺さず」の成句ですが、「猟師も殺さず」の部分は日本で付け加えたようです。
出典は【顔氏家訓】省事篇です。
中国,6世紀の顔之推(ガンシスイ)の著。20編。六朝時代における家庭生活,風俗,儀礼,学術,宗教などの知識を提供し、家訓の祖と仰がれました。
然而窮鳥入懷,仁人所憫
窮鳥懐に入るは、仁人(ジンジン)の憫(あわ)れむ所なり
追い詰められた鳥が懐に入れば、仁者はこれを憐れむ
況死士歸我
況(いわん)や死士我に帰せば
ましてやその人の存亡(ソンボウ)帰趨(キスウ)が我にかかっているとすれば
當棄之乎
当(まさ)に之を棄(す)つべけんや
どうしてこれを見捨てることができようか
伍員之託漁舟
伍員(ゴウン)の猟舟に託し
窮した伍子胥は猟師に助けられ
季布之入廣柳
季布(キフ)の廣柳(コウリュウ)に入り
身をやつした季布は廣柳車(霊柩車)に救われ
孔融之藏張儉
孔融(コウユウ)の張倹(チョウケン)を蔵(かく)し
孔融は頼る張倹を見過ごさず
孫嵩之匿趙岐
孫嵩(ソンスウ)の趙岐(チョウキ)を匿(かく)す
孫嵩は追われる趙岐を匿った
前代之所貴,而吾之所行也
前代の貴(たっと)ぶ所にして、吾の行ふ所なり
これらは古くより貴ばれる話であり、私の志すところである
以此得罪,甘心瞑目
此れを以て罪を得るとも、甘心瞑目せん
このような行為を以て罪を得たとしても、満足して安らかに死すだろう