【泣いて馬謖(バショク)を斬(き)る】と読みまして、
規律を守るためには、信頼して愛している者も私情を捨てて厳正な処分をすることを表す言葉です。
三国志演技では【涙を揮(ふる)って馬謖を斬る】となっています。
十八史略では【流涕(リュウテイ)して馬謖を斬る】となっています。
『十八史略』の一文を紹介します。原文・読み下し文・口語訳をセットにしてあります。
亮爲政無私。馬謖素爲亮所知。
亮(リョウ:諸葛孔明)、政を為すこと私(わたくし)無し。馬謖(バショク)素(もと)より亮の知る所と為る。
亮は政治を行うのに公平であった。馬謖は日頃、亮の知遇を受けていたが、
及敗軍流涕斬之、
軍を敗(やぶ)るに及び、流涕して之を斬り、
軍を敗戦に招くと、亮は泣いて馬謖を斬った。
而卹其後。
而(しか)して其の後を卹(あわれ)む。
そして残された遺族には厚く情をかけた。
李平・廖立、皆爲亮所廢。
李平(リヘイ)・廖立(リョウリュウ)皆亮の廃する所と為る。
李平と廖立はともに亮によって免職されたが、
及聞亮之喪、皆歎息流涕、
亮の喪(そう)を聞くに及び、皆歎息流涕し、
亮の死を聞くと涙を流して歎き悲しみ
卒至發病死。
卒(つい)に病を発して死するに至る。
そのためとうとう病気になって死んでしまった。
馬謖は才気のある武将で孔明に愛されていましたが、『街亭の戦い』で孔明の命に従わないで惨敗したので、孔明は私情を殺して馬謖を斬りました。
この故事から、私情としては忍びなくても、公法のために罰することを【泣いて馬謖を斬る】というようになりました。