【鸚鵡(オウム)能(よ)く言ふも、飛鳥(ヒチョウ)を離れず】と読みまして、
鸚鵡は人間の言葉をまねてうまくしゃべることはできるけれども、空を飛ぶ鳥にすぎ、絶対に人間の仲間には入れない、という意味です。
『禮記:ライキ』曲禮(キョクライ)篇上にある言葉で、人間でも禮を弁えないならば、たとえ人間の言葉を話しても、禽獣の心と変わりがないではないかと、言っています。
人の人たる所以は禮を守りふみ行って、家や世の秩序と平和を維持することにある。
『禮記』は、古代中国の周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する記述を、前漢の戴聖(タイセイ)が編纂したものと言われています。
鸚鵡能言、不離飛鳥。
鸚鵡は能(よ)く言(ものい)へども、飛鳥(ヒチョウ)を離(はな)れず。
鸚鵡は人間のことばを話すことはできるけれども、
鳥の仲間からは離れられない。
猩猩能言、不離禽獸。
猩猩(ショウジョウ)は能(よ)く言(ものい)へども、禽獸(キンジュウ)を離(はな)れず。
猩猩(ショウジョウ)は人間のことばを話すことはできるけれども、
獸の仲間からは離れられない。
今人而無禮、雖能言、
今 人にして禮(レイ)無(な)ければ、能く言ふと雖(いへど)も、
もし人間でありながら、禮を弁(わきま)えないならば、たとへ人間の言葉を話しても、
不亦禽獸之心乎。
亦(ま)た禽獸(キンジュウ)の心ならずや。
まったく禽獣の心と変わりがないではないか。