【杞梓(キシ)連抱(レンポウ)にして数尺(スウセキ)の朽(くち)有るも良工は棄てず】と読みまして、杞(やなぎ)や梓の幾抱えもある材は、たとえ朽ちた所があっても、良い棟梁は、朽ちたところだけを除いてうまく使います、というのが文字通りの意味です。
人材に多少の短所があっても、それには目を瞑り、長所を認めてこれを任用すべきである、というのが本意です。
出典は『十八史略』戦国:衞篇です。
戰國時、子思居於衞。
戦国の時、子思(シシ)、衛に居(を)る。
戦国時代に孔子の孫の子思は、衛につかえていたとき、
言苟變可將。
苟變(コウヘン)を将とす可しと言う。
苟変を大将に任用するがよい、と薦めました。
衞侯曰、變嘗爲吏、賦於民、食人二雞子、故弗用、
衛侯曰く、變は嘗て吏(リ)たりしとき、民に賦して、人の二雞子を食(くら)えり。故に用いず、と。
衛侯の愼公が言うには、苟変はまえに役人をしていた時、人民に割りあてて、
一人当たり鶏卵、二個づつを取り立てて食べたことがある。そんなことをする男だから用いない。
子思曰、聖人用人、猶匠之用木。
子思曰く、聖人の人を用うるは、猶お匠の木を用うるが如し。
子思が言うには、聖人が人を用いるやり方は、棟梁が材木を使うようなものである。
取其所長、棄其所短。
其の長ずる所を取って、其の短なる所を棄つ。
材木の長い役に立つところを用い、短い役に立たぬところを棄てます。
故杞梓連抱、而有數尺之朽、良工不棄。
故に杞梓(キシ)連抱(レンポウ)にして、数尺(セキ)の朽有るも、良工は棄てず。
ですから杞(やなぎ)や梓の幾抱えもある材は、たとえ朽ちた所があっても、
良い棟梁は、朽ちたところだけを除いてうまく使います。
今君處戰國之世、而以二卵棄干城之將。
今君、戦国の世に處(お)り、而して二卵を以て干城の将を棄つ。
いま、わが君は人材を必要とする戦国の世にいながら、
卵二個で国を守る大事な武将を、棄てようとしている。
此不可使聞於鄰國也。
此れ隣国に聞かしむ可からざるなり、と。
隣国に絶対に知られないようにしなくてはなりません。