No. 417 【西施捧心】 せいしほうしん
訳も分からず、いたずらに人真似をして物笑いになるたとえを言ったものです。
【西施捧心】の四字熟語のほかに、【西施の顰(ひそみ)に効(なら)う】という成句でも知られています。
『荘子』天運篇に出てくる話です。
春秋時代、魯の楽師の師金(シキン)が孔子の弟子の顔淵(ガンエン)に
孔子は文王・武王を形式的に尊ぶだけで、主張することは時代に即していない、と批判した時に持ち出した話です。
西施(セイシ)心(むね)を病みて其の里に矉(ヒン)するに、
美人の西施が胸を病んで眉をしかめたところ
其の里の醜人(シュウジン)見て之を美とし、
その村の醜女がそれを見て美しいと思い
帰りて亦(ま)た心を捧(ホウ)じて其の里に矉(ヒン)す。
家に帰ると自分も同じように胸に手を当て、眉をしかめるようになった。
其の里の富人(フジン)は之を見、堅く門を閉じて出でず。
それを見ると金持ちは門を硬く閉ざし、家から
貧人(ヒンジン)は之を見、妻子を挈(ひっさ)げて之を去りて走る。
貧乏人は妻子を引き連れ村から逃げ出した。
彼は矉の美なるを知るも、
この醜女には西施が眉をしかめたようすが美しいと思ったのだが、
矉の美なる所以(ゆえん)を知らず。
眉をしかめることが何故美しく見えるのかという根本が分からなかったのだ。
惜しいかな、而(なんじ)の夫子(フウシ)其れ窮せん。
残念だが、ただ形をまねただけの君の先生も(これと同じで)行き詰まるでしょう。
『西施』は、中国四大美人(西施・王昭君・貂蟬・楊貴妃)の一人と言われています。
①『西施』と言う名前は、出身地の苧蘿(チョラ)村に『施』と言う家族が
東西の村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、
『西』村の『施』なので『西施』と呼ばれるようになったそうです。
②越王句践の復讐劇に巻き込まれ、呉王夫差を骨抜きにするため、
呉に送り込まれました。
③美女献上の発案者であり世話役でもあった范蠡(ハンレイ)に付き
従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もあります。
④美女『西施』の唯一の欠点は、太い脚だったそうです。
⑤四大美人にはそれぞれ欠点が有ったといわれています。
西施は上述の通り「太い脚」、 王昭君は極端な「なで肩」、
貂蟬は「小耳」、楊貴妃は「腋臭(わきが)」です。
⑥四大美人にはそれぞれ欠点が有ったといわれています。
西施は上述の通り「太い脚」、 王昭君は極端な「なで肩」、貂蟬は「小耳」、楊貴妃は「腋臭(わきが)」です。
『象潟や雨に西施がねぶの花』
芭蕉が、合歓(ねむ)の花を美女西施の寝顔にたとえて詠んだ句と言われています。