【九仞之功】は、『九仞の功を一簣(イッキ)に虧(か)く』という成句で知られています。
仕事が完成する直前の、最後の努力の大切さを言った四字熟語です。
【九仞】の「仞」は周の時代では八尺(または七尺)のことです。九仞とはその九倍で、とても高いということを形容して言った言葉です。あまり意味はないですが計算してみますと、
八×22.5㎝(周の時代の尺の長さ)×九=16.2メートルとなります。ほぼ5階建ての建物の高さに相当します。
【簣】は、土を入れて運ぶ竹の籠のことで、「モッコ」のことを言います。モッコ一杯の土を【一簣】と言います。
【九仞之功】は『書経』旅獒(リョゴウ:旅という国の大犬)篇に記載があります。
周の武王が、殷の紂王(チュウオウ)を討ち、殷を滅ぼして新に周王朝を創めてから間もなくのことです。
周に各地から貢物が献上されて来るものですから武王は大いに喜びました。
その時、武王の弟の召公(ショウコウ)が、珍奇なものに心を奪われて、周王朝の創業を危うくしてはならない、と【九仞之功】を例に出して、武王を諫(いさ)めました。
嗚呼(ああ)、夙夜(シュクヤ)勤めざるあるなかれ、
王たる者は、朝早くから夜遅くまで、努力を続けなければいけない、
細行(サイコウ)を矜(つつし)まずんば、終(ついに)に大徳を累(わづら)はさん。
わずかな行ないでも謹まないと、いつかは大きな徳を傷つけることになる。
山を為(つく)ること九仞、功を一簣に虧(か)く。
九仞の山を造るにも、あと一盛りのところで止めてしまえば、山は完成しない。
「書経」だけでなく、他の古典にも、同様の趣旨で、この言葉はよく出てきます。
『論語』子罕(シカン)篇にはつぎのような記載になっています。
子曰く、譬(たと)えば山を為(つく)るが如し、未だ成らざること一簣なるも、止むは我止むなり。
たとえば、山を作ろうとする時、あと簣(もっこ)一杯の土で完成するのに、そこで止めて
しまったなら、それは誰のせいでもなく、外ならぬ自分が止めてしまったのであるから、
山は絶対に出来あがらない。
【九仞之功】は、【一簣之功:イッキのコウ】とも言います。