【前(さき)に倨(おご)りて後(のち)には恭(うやうや)し】と読みまして、以前は傲慢な態度だったのに、今度は急に態度をがらりと変えて、丁寧にあつかう、という意味になります。出典は『史記』蘇秦列伝です。
蘇秦之昆弟妻嫂側目不敢仰視,俯伏侍取食。
蘇秦の昆弟(コンテイ)妻嫂、目を側(そばだ)てて敢て仰ぎ視ず,俯伏(フフク)し侍して食を取る。
蘇秦の兄弟・妻・兄嫁らは目をそらして仰ぎ見ようとせず、
うつむいたままかしずいて給仕をした。
蘇秦笑謂其嫂曰、何前倨而後恭也。
蘇秦笑ひ其の嫂(あによめ)に謂ひて曰く、何ぞ前に倨りて後に恭しきや、と。
蘇秦は笑いながら兄嫁に言った、
どうして以前には威張っていて、今度はていねいにあつかってくれるのか。
嫂委蛇蒲服,以面掩地而謝曰、見季子位高金多也。
嫂、委蛇(イダ)蒲服(ホフク)し,面を以て地を掩ひて謝して曰く、季子の位高く金多きを見ればなり。
兄嫁は、はいつくばり,顔を地につけて謝りながら言った、
あなたの位が高く、お金持ちなのを見たからです。
蘇秦喟然嘆曰、此一人之身,富貴則親戚畏懼之,貧賤則輕易之。
蘇秦喟然(キゼン)として嘆きて曰く、此れ一人の身にして,
富貴なれば則ち親戚も之を畏懼(イク)し,貧賤なれば則ち之を輕易(ケイイ)す。
蘇秦はため息をついて言った、前の私と今の私は同じ身である,富貴であるときには親戚も
懼(おそ)れ畏(かしこ)み,貧賤ならば輕侮される。
況衆人乎。
況(いわ)んや衆人をや。
まして世間の人たちならば尚更そうするに違いない。
且使我有雒陽負郭田二頃,吾豈能佩六國相印乎。
且(も)し我をして雒陽(ラクヨウ)負郭(フカク)の田(デン)二頃(ニケイ)有らば,
吾、豈に能く六國の相印(ショウイン)を佩(お)びんや、と。
また、もし私が雒陽の郊外の田地を二頃も持っていたなら、私はどうして六國の宰相の印を
身に付けることができただろうか 。
於是散千金以賜宗族朋友。
是に於いて千金を散じて以て宗族朋友に賜ふ。
こうして千金を用いて親族や朋友に分け与えた。