【人は固(もと)より未だ知り易(やす)からず、人を知るも亦(また)未だ易からざるなり。】と読みまして、人はなかなか自分を理解してくれないし、自分が人を理解するのも容易なことではない、という意味です。
出典は『史記』范雎蔡澤列伝です。
人を知ることで有名な信陵君(シンリョウクン:魏の昭王の子)が困窮した虞卿(グケイ:趙の上卿)を受け入れようとしなかったので、侯嬴(コウエイ:魏の隠士)が皮肉を込めて諫めた言葉です。
夫魏齊窮困過虞卿、
夫(か)の魏齊(ギセイ)窮困(キュウコン)して虞卿(グケイ)に過(よ)ぎるや、
あの魏齊が困窮して虞卿を訪ねた時、
虞卿不敢重爵祿之尊
虞卿、敢て爵祿(シャクロク)の尊(たっと)きを重んぜず、
虞卿は自分の高い官位と俸給とに少しも未練を持たず、
解相印捐萬戸侯而閒行、
相の印を解き萬戸侯(バンココウ)を捐(す)てて閒行(カンコウ)し、
宰相の印をはずし、万戸侯の封号を捨て、潜行したのであります。
急士之窮而歸公子。
士の窮を急にして公子に歸す。
人の緊急事態に駆け付け、公子を頼って来たわけであります。
公子曰、何如人。
公子曰く、何如(いか)なる人ぞ、と。
それに対して、公子は『何者だ』とおっしゃいました。
人固不易知、知人亦未易也。
人は固より未だ知り易からず、人を知るも亦未だ易からざるなり。
人はなかなか自分を理解してくれないし、自分が人を理解するのも容易なことではない、
信陵君大慙、駕如野迎之。
信陵君大いに慙(は)じ、駕(ガ)して野に如(ゆ)き之を迎ふ。
信陵君はその言葉に大いに恥じて、車を御し、郊外まで虞卿を出迎えに行きました。