【人の賢(ケン)不肖(フショウ)は、譬(たと)へば鼠(ねずみ)の如し】と読みまして、
人の賢愚は鼠のようなもので、その境遇によって決まるのだ、という意味です。
出典は、『史記』李斯列伝です。
年少時、爲郡小吏。
年(とし)少(わか)き時、郡の小吏と爲る。
若い時に、郡の小役人となったことがあった。
見吏舍廁中、鼠食不潔、
吏舍(リシャ)の廁中(シチュウ)に、鼠の不潔を食(く)らひ、
その役所の廁で見かける鼠は、汚物を食べ、
近人犬、數驚恐之。
人犬に近づくや、數(しばしば)之に驚恐するを見る。
人や犬に出会うと、いつもうろたえおびえている。
斯入倉觀倉中鼠食積粟、
斯、倉に入るに、倉中の鼠の積粟を食らひ、
李斯、倉庫に入ってみると、その中の鼠は積まれた穀物を食い、、
居大廡之下、
大廡の下に居(を)り、
大きな屋根の下に住み、
不見人犬之憂。
人犬の憂ひを見ざるを觀る。
人や犬の心配もない。
於是李斯乃歎曰、
是に於て李斯乃(すなは)ち歎じて曰く、
そこで李斯は嘆息した、
人之賢不肖、
人の賢不肖は、
人の賢愚も
譬如鼠矣。
譬へば鼠の如し。
鼠のようなもの。
在所自處耳。
自ら處(を)る所に在(あ)るのみ。
その境遇によって決まるのだ。