【三日坊主】とは、何をしても非常にあきっぽく、長続きしないことのたとえを言う四字熟語です。
また、そのような人のことをあざけっていう言葉です。
【三日】と言いますのは実数としての【三日】ではなく、わずかな期間と言う意味です。
【坊主】と言いますのは、大寺院の中の一つの【坊】(僧侶の住居)の【主】(あるじ)ですが、
室町時代以降は一般に僧を【坊主】と呼ぶようになりました。
それ以降、親しみをもって呼んだり、またあざけりを持って呼ぶようになったようです。
僧の修業というのは、早朝からお勤めが始まり、食事も粗食で規則正しい生活が強いられます。
出家しても、いい加減な気持ちでは修業の厳しさを乗り越えられず、三日経ったら還俗(ゲンゾク:出家した人が再び俗人に戻ること)してしまう人がいることから【三日坊主】という言葉が生まれたと言われています。
【三日坊主】と同じような意味で、【公冶長(コウヤチョウ)論語に須磨(スマ)源氏】」という言葉があります。
一大決心で【論語】に挑戦したのですが、【論語】二十篇のうちの第五篇【公冶長】のところで、あきちゃうし
【源氏物語】は五十四帖のうちの、第十二帖「須磨」のあたりで投げ出してしまうことを言ったものです。
【三月庭訓:さんがつていきん】という言葉もあります。
『庭訓往来(テイキンオウライ)』という初学者用の手紙文例集がありまして、一月から十二月の消息文を集めたものです。南北朝時代末期から室町時代前期の成立と言われていまして、寺子屋の習字や読本として使用されたそうです。
その『庭訓往来』を、一月のところから始めたのですが、三月に差し掛かったところで止めてしまうことを【三月庭訓】と言ったそうです。
【三日】、【三月】よりもっと早く、すぐ止めちゃうのが
【桐壺(きりつぼ)源氏】、【隠公(インコウ)左伝(サデン)】です
それぞれ初っ端の、桐壺の巻、隠公の巻(春秋左氏伝は隠公元年(B.C.722)から注釈)で投げ出してしまうことを言っています。