広く人民に恩恵を与え、民衆を苦しみから救済すること。為政者の心得。 「博施」は広く人民に恩恵を施すこと。「済」は救う、助ける意。「衆」は人々。多くの人。 「博(ひろ)く施(ほどこ)して衆(しゅう)を済(すく)う」 と訓読する。 【新明解・四字熟語辞典】三省堂。
あまり目にしない四字熟語と思います。出典は『論語』の雍也篇で、子貢(シコウ:端木賜。B.C.520~B.C.456 孔門十哲の一人。弁舌と貨殖の才。)が孔子に「博く民に施して、能(よ)く衆を済ふ有らば、何如(いかん)。仁と謂うべきか」と尋ねます。すなはち「ひろく民全体に恩恵を施し、多数の人を救済することが出来たら、仁といえましょうか」と尋ねたんですね。それに対して孔子の答は「それが出来れば、仁どころではない。強いて言うなら、聖人と言ってよかろう。堯(ギョウ)・舜(シュン)のような聖天子ですら、それが出来ないといって心配されていたのだから」でした。
大昔から「博施済衆」は為政者の責務というか心がけておかなければならないことのようでした。
心掛けてはいるけど、なかなか出来ない、というのが古代の為政者。
心がけてはいないよ、そんなの知らないよというのが現在の為政者。
のような気がします。 もし御存じであったのなら、大津波災害や、原発災害で救いを求めている国民に対して、他にやるべき事をやらないで増税の話などしないはずです。
『論語』には役に立つことが沢山書かれています。理想的なことから日常身近なことまで、参考になります。一度読まれるといいですよ。
小生、実行していることが一つだけあります。『論語』郷党篇にある次の教えです。
「・・・・・・。唯(ただ)酒は量無し、乱に及ばず。・・・・・」
ただ、酒はどのくらいと分量を決めないが、酔ってとり乱すほどまでは飲まない。
こんなことも『論語』には書かれているのです。