【情(ジョウ)を直(なほ)くして径(ただち)に行(おこな)ふ者(もの)有り】と訓読みされます。
【直情】は、ありのままの感情と言う意味です。
【径行】の【径】は康煕字典体で【徑】です。「巠」は機織り機にたて糸をかけてピンと張っている状態を
文字化したものです。
「彳」は十字路のかたちである「行」の左半分で、道の意味があります。ですから【徑】は直線的な
近道を意味する文字です。
そこから「ただちに」という意味にも使われ、
【径行】を【径(ただち)に行(おこな)ふ】と訓読みします。
「巠」を共通にする字として「経(經)」、「茎(莖)」、「軽(輕)」、「逕」、「痙」、
「頸」などがあります。
『礼記:ライキ』檀弓(ダングウ)篇に【直情径行】の言葉が出ています。
『礼記』といいますのは、儒学のテキストである五経(春秋・詩経・礼記・書経・易経)のひとつです。
周(B.C.1100年頃~B.C.221年)の末から秦・漢に到る時代の礼に関する理論と実際の記録を
集めた書物です。
有る時のこと、孔子の弟子の有若(ユウジャク)と子遊(シユウ)の二人が歩いていると、
おさな子が亡くなった親を慕って泣き叫んでいるのに出くわしました。
有若が言いました。
私は喪の礼に『踊(ヨウ:哀悼して足ずりをする)』があるのは何のためか判らず、
もう廃止したら良いのにと、思っていた。
だが、あの子の悲嘆ぶりを見て、死者に対する哀惜の情は、
この『踊』の礼にあると、今知った。やはり古人の作った「礼」は、それなりに
理由があるものだね
すると子遊は言いました。
礼は、その人の気持ちを押さえて表現するものもある。事柄に応じて着る物や使う物を
定めたりいろいろある。
しかし、感情の赴くままに行動して、節制することを知らない、いわゆる【直情径行】なのは
戎狄(ジュウテキ:野蛮人)の道である。
感情に正直ということだけをとらえて、ほめ言葉として使われることがありますが、どうもこれは誤りのようです。本来は野蛮人の行為をとがめる言葉として使われていました。