【左右を顧(かえり)みて他(よそごと)を言えり。】と読みまして、
都合悪くなったら、はっきりしたことを言わずにその場をごまかすことを言います。
出典は『孟子』梁恵王下です。
孟子が、斉の宣王(B.C.319年~B.C.301年)の招きで、数年滞在していた時の話です。
孟子謂齊宣王曰
孟子齊の宣王に謂(かた)りて曰く
孟子が斉の宣王に向かって言いました。
王之臣有託其妻子於其友而之楚遊者、
王の臣、其の妻子を其の友に託し、楚に之きて遊ぶ者有らんに、
王のご家来の中に遠く楚の国にゆくので、親しい友人に自分の妻子の世話をたのんで
いった者が仮にあるとしましょう、
比其反也、則凍餒其妻子則如之何、
其の反るに比(およ)びて、則ち其の妻子を凍餒(トウタイ)せしむれば、則ち如之何(いかに)すべき、
しかし帰ってみれば、妻子を飢えて凍えさせていたとします。王はこの家臣をどう扱いますか、
王曰、棄之、
王曰く、之を棄(す)てん。
王は言いました。そのような者は、馘首(くび)だな。
曰士師不能治士、則如之何、
曰く、士師(シシ)、士を治むること能(あた)わずんば、則ち如之何(いかに)すべき。
孟子は更に言いました。
たとえば、(裁判の長官である)士師が無能で部下の者どもを管理できないとしたら、
王はこの者をどう扱いますか。
王曰、已之、
王曰く、之を已(や)めん。
王は言いました。そのような者は、罷免してしまうでしょうな。
曰、四境之内不治、則如之何、
曰く、四境の内、治(おさ)まらずんば、則ち如之何(いかに)すべき、
孟子は(ここぞとばかり)言いました。では、一国の君主として、国がよく治まってないとき、
どうなさいますか。
王顧左右而言他。
王、左右を顧みて他(よそごと)を言えり。
王はハタと返事に困り(聞こえないふりをして)おそばの家来と別な話をしてごまかして
しまいました。