些細なことや,つまらぬことで争うことの譬(たと)えです。
出典は『荘子』則陽(ソクヨウ:人名)篇です。
戦国時代(B.C.403~B.C.221)の諸侯の争いは、【蝸角之争】に譬えるべく、おろかしい行為と断じるのは、同時代の諷刺家荘周(荘子)です。
著書『荘子』の「則陽篇」にあるこの話は、歴史的事実に基づいた、荘周一流の寓話です。
戴晋人曰、
戴晋人(タイシンジン)曰く、
(賢者の)載晋人が言いました、
有所謂蝸者、君知之乎。
謂(い)わゆる蝸なる者あり、君之を知るかと。
蝸という者がいますが、王様はご存じでしょうか。
曰、然。有國於蝸之左角者、曰触氏。
曰く、然りと。蝸の左角に国(くに)する者あり、触氏と曰う。
「ウン」と答えると、蝸の左の角に国を構えるものがいて、触氏と言います。
有國於蝸之右角者、曰蠻氏。
蝸の右角に国(くに)する者あり、蛮氏と曰う。
蝸の右の角に国を構えるものがいて、蛮氏と言います。
時相與爭地而戰、
時に相(あ)い與(とも)に地を爭いて戰う、
あるとき(この二国が)たがいに土地を争って戦争をはじめ、
伏尸數萬
伏尸(フクシ)數萬、
戦場にころがる屍は数万人、
逐北旬有五日而後反。
北(に)ぐるを逐(お)い、旬有五日にして而る後に反る。
逃げる者を追いかけて、半月もしてからやっと帰ってきたという事です。
王は作り話か、と言いました。戴晋人は言いました、宇宙の広大さには現実の世界は及びません。
その現実世界の中で魏の国、その都である梁(りょう)などはちっぽけな存在です、
王様のやり方は蝸牛の角上の争いと異なりません。王は説得され、戴を大人物だと評価しました。