【三百六十日,日日(ひび)醉ひて泥(デイ)の如し】と読みまして、
一年三百六十日,、毎日酔っぱらって泥のようである、という意味です。
【泥:デイ】は、「ドロ」ではなく、南方の海にいたといわれた軟体動物のこと。海中では自由に動くが、陸に上がるとグッタリしてしまうことから、酔っ払いの例えに使われます。「泥酔:デイスイ」の語源です。
出典は李白の『内(つま)に贈る』五言絶句です。
三百六十日
三百六十日
一年 三百六十日
日日醉如泥
日日 醉うて泥の如し。
毎日 泥のように酔う
雖爲李白婦
李白の婦(フ) 爲(た)りと雖(いへど)も,
李白の嫁とはいっても
何異太常妻
何ぞ太常(タイジョウ)の妻に異ならん。
これじゃ太常(後漢の周澤)の妻と異ならん。
(すまんな)
後漢の周澤(シュウタク)は、宮中で天子の祖先の霊をまつる太常の職にあり、一年にたった一日の休暇以外は、いつも精進潔斎し婦人を近づけることもできませんでした。
あるとき、周澤が斎宮で病気になったので妻が見舞ったところ、ものいみが破られたと怒り、妻を獄に送り罪を謝したそうです。
これを聞いた当時の人々は、
この世に生まれてつまらないのは、太常の妻になる事よ。一年三百六十日のうち、三百五十九日は、
ものいみしている。ものいみしない一日は酔っぱらって泥のようである。
と言ったそうです。
この周澤の故事によって、李白は戯れながらも、妻に対していたわりの思いを詠ったようです。