【松樹(ショウジュ)千年終(つい)に是れ朽(く)つ、槿花(キンカ)一日自(おのずか)ら栄と為(な)す】とよみまして、
松は千年の樹齢を持つというが、ついには朽ち果てるときがくる、
朝顔の花は、すぐに萎れるというが、その花なりに一日の栄を楽しむのである。という意味です。
白居易の詩、『放言五首』其の五にある言葉です。七言律詩の3句目、4句目です。
泰山不要欺毫末
泰山(タイザン)は、毫末(ゴウマツ)を欺(あざむ)くを要せず
泰山は大きいからといって、小さなものを侮る必要はないし
顔子无心羨老彭
顔子(ガンシ)は、老彭(ロウホウ)を羨む心無し
顔回は短命だったけれど、彭祖(ホウソ)の長寿を羨む心はなかった
松樹千年終是朽
松樹千年終に是れ朽ち
松の木は、千年の寿命があるといっても、最後には朽ち
槿花一日自為栄
槿花一日(キンカイチジツ)、自(おのずか)ら栄と為す
朝顔の花は、一日の寿命であっても、それを栄華とする
何須恋世常憂死
何ぞ須(もち)ゐん、世を恋(こ)ひて常に死を憂ふるを
されば、どうして現世に恋々とし、常に死を気に病む必要があるだろう
亦莫嫌身漫厭生
亦た身を嫌(きら)ひ漫(みだ)りに生を厭(いと)ふなかれ
だからといって、わが身を嫌って、むやみに生を厭う必要もない。
生去死来都是幻
生去死来(セイシキョライ)、都(すべ)て是れ幻(まぼろし)
生きるも死ぬも。これはすべて幻に過ぎない
幻人哀楽繋何情
幻人(ゲンジン)の哀楽(アイラク)、何の情にか繋(か)げん
幻に過ぎないわが身に、どうして哀楽などを気にかけよう