【白頭(ハクトウ)新(シン)の如く、傾蓋(ケイガイ)故(コ)の如し】と読みまして、
わかいころから交際して白髪になるまで友人でいても、新しく知り合った人のように親しまぬものもあり、
途で遇って車の蓋(かさ)を傾けて近づき、ちょっと話し合っただけで、古なじみの友人のように親密になる者もある、
という意味です
【蓋】は車につけられた、日よけのような覆いを言います。それを少し傾けて開けるのを【傾蓋】といいます。
出典は『史記』鄒陽傳です。
鄒陽が讒言にあって梁(魏)の牢屋に繫がれた時、獄中から上書した中に、【白頭新の如く、傾蓋故の如し】がありました。
諺曰、
諺に曰く、
諺にありますように、
有白頭如新、
白頭(ハクトウ)新(シン)の如く有りと、
若いころから交際して白髪頭になるまで友人でいても、
新しく知り合った人のように親しまぬ者もあり
傾蓋如故。
傾蓋(ケイガイ)故(コ)の如し
途(みち)で遇って車の蓋いを傾けて近づき、ちょっと話あっただけで、
古くからの友人のように親しくなれる者もあります。
何則知與不知也。
何となれば則ち知ると知らざるとなり。
これは、相手の心を知るか知らないかの差であります。
この書面が、梁の孝王に上奏され、孝王は人をやって鄒陽を獄から出し、ついに上客としました。