どうしようか、形勢を窺(うかが)ってどちらか一方に決めかねている様子をたとえた四字熟語です。
穴から首を出したねずみが外を窺って、辺りをキョロキョロ見回していることから作られました。
日和見(ひよりみ)と同じ意味のようです。
【首鼠】は、疑い深い鼠が、穴から首を出して外の様子を見ている状態を言います。
一説に【躊躇:チュウチョ】の畳韻(ジョウイン)が変化したものであるとも言われています。
【両端】は、「ふた心」を表します。どちらかに決める時に、両方の様子を窺(うかが)い、
利益のある方を選ぶことを言っています。
出典は『史記』・魏其(ギキ)・武安(ブアン)侯伝です。
前漢第五代武帝(ブテイ:B.C.140~B.C.87)のとき、互いに好敵手として意識し合っていた
魏其侯竇嬰(トウエイ)と武安侯田蚡(デンブン)の二人が、酒の席で諍いを起こし、
帝の裁決を仰ぐことになりました。
二人とも自分の正しさを認めてもらおうと、帝の所へ出かけ、口を極めて相手の悪口を言い合いました。
帝の判決を俟つため、いったん退廷をします。
武安侯田蚡はこんな争いで帝の心を悩ませたことを恥じて宰相をやめ、その足で門のところまで退出、
そこで御史大夫を呼んでしかりつけた。
「なぜお前は、穴から首だけ出して、出ようか出まいかとウロウロしている鼠のように、
この事件にハッキリ黒白を出さずにマゴマゴしているのだ。【何ぞ首鼠両端を為す。】
だらしがないぞ、理非曲直は明らかなのに……」
魏其侯竇嬰は処刑され、武安侯田蚡はやめさせられるどころか、反って帝の信任があつくなりました。
しかし後日譚、
その後、間もなく武安侯田蚡は病気になり、夢うつつの間に、
「許してくれ、俺が悪かった。」
と叫び続けるようになりました。祈祷させたところ、この病気は、さきに恨みをのんで殺された魏其侯竇嬰のたたりで、武安侯をとり殺そうとしているのだということがわかりました。
あらゆる加持祈祷を加えましたが、怨念はしつこくつきまとって離れず、武安侯は苦しみもだえながら、
一週間ばかりしてついに亡くなったそうです。
12も党があるんです。どこに託したら日本は良くなるんだろう。