桃や李(リ:すもも)の木は物を言う訳ではないが、美しい花を咲かせ、美味しい実を結ぶから、それに魅(ひ)かれて人々が集まってくるため、おのずとそこへ到る蹊(ケイ:こみち)が出来る、と言うことから
徳がある人は 、何も言わなくても、その徳を慕って、人々が集まってくるということのたとえを表した四字熟語です。
出典は『史記』李(リ)将軍伝です。その伝の最後に「太史公曰」として司馬遷がコメントを書いています。その中で【桃李成蹊】の言葉を使って李将軍を讃えています。
李将軍と言いますのは、前漢の軍人・李広(リコウ:生年不詳~ B.C.119年)のことです。李広は、口数少なく、清廉で欲がなく、恩賞はすべて部下に分けてやりました。食べ物や飲み物も、全員がことごとく食べ終わらなければ口にしませんでした。部下たちは、そんな将軍に敬意を抱き、死をも厭わず戦に臨みました。
以下司馬遷の李将軍に対する論讃です。
伝に曰く、
伝(『論語』子路篇のことを言ってます)に言うには
「其の身正しかれば令せずして行はれ、其の身正しからざれば令すと雖も従はれず。」と。
「その身が正しければ命令せずとも実行され、その身が正しくなければ命令しても従われない」と。
其れ李将軍の謂ひなり。
これは、李将軍のことを言っているようなものだ。
余、李将軍を睹(み)るに、悛悛(シュンシュン)として鄙人(ヒジン)のごとく、
口(くち)道辞(ドウジ)する能(あた)はず。
私が李将軍を見たところ、慎み深く、田舎者のようで、口は、うまく話すことができないようだった。
死の日に及びて、
しかし、李将軍の亡くなった日には、
天下知ると知らざると皆為に哀しみを尽くせり。
天下、彼を知る者も知らない者も、皆強く悲しんだ。
彼の其の忠実心、誠に士大夫に信ぜられたるなり。
彼の、その忠実な心は、本当に士大夫に信用されていたものだった。
諺に曰はく、
諺に言うには
【桃李言はざれど、下自ら蹊を成す】。
【桃やすももは何も言わないが、その下には、自然と小道ができる】というのである。
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