わずかな食べ物で暮らすこと。清貧に甘んじて学問に励むことを表す四字熟語です。
【簞】は、竹で編んだ蓋つきの丸い器。ご飯を入れるのに使います。
【食】は、蓋つきの食器から出来た象形文字です。「ショク」、「シ」、「イ」の音があります。
ここは【簞食:タンシ】です。
【瓢】は「ひさご:ヒョウタン」の果実の内部を刳(く)りぬいて乾燥させたものを半分に切って
器にしたものです。酒を飲むときの器として使ったようです。
【飮】は、「食+欠」で出来た会意文字です。「食」は蓋つきの食器、「欠」は人が口を開いて飲む形。
「食」に入っている飲み物をのむことを表す字として「飮」が作られました。
出典は『論語』雍也篇です。
【簞食瓢飮】は、孔子が顔回の生活ぶりを褒めて言った言葉です。
顔回(ガンカイ:B.C.521~B.C.490)は、孔子の弟子で、「回」は名、字(あざな)は子淵(シエン)です。
それで顔淵(ガンエン)とも言われています。
魯の人で孔門十哲の一人です。秀才で孔子にその将来を嘱望されていましたが32歳で亡くなりました。
顏回は名誉栄達を求めること無く、ひたすら孔子の教えを理解し実践することに務めました。
その暮らしぶりは極めて質素であったことから、老荘思想発生の一つとみなす説もあるようです。
子曰く、賢なるかな回や。
子曰、賢哉囘也
孔子が言いました、偉いもんだね、回は。
一箪の食(シ)、一瓢(ピョウ)の飲、陋巷(ロウコウ)に在り。
一箪食、一瓢飮、在陋巷
一椀の飯と、一椀の汁で、むさくるしい路地に暮らしている。
人は其の憂いに堪えず、回や其の楽しみを改めず。
人不堪其憂、囘也不改其樂。
普通の人なら、その辛さに堪えられないだろうが、回は相変わらず学ぶことの楽しみを
改めようとはしない。
賢なるかな回や。
賢哉囘也。
偉いもんだね、回は。
『論語』には顔回への賛辞がいくつか見られます。
① 顔回ほど学を好む者を聞いたことがない。(雍也篇、先進篇)
② 子貢が、私は一を聞いて二を知る者、顔回は一を聞きて十を知る者。(公冶長篇)
顔回は孔子から後継者として見なされていました。それだけに顔回が亡くなった時の孔子の落胆は激しく、
孔子は「ああ、天われをほろぼせり」(先進篇)と慨嘆しました。