【窮鼠(キュウソ)、猫を嚙(か)む】と訓読されます。
追い詰められると、弱い者でも強い者に勝つこともあるということを表す言葉です。
弱いと思われる者を、逃げ道のないところに追いこんではいけないということでもあります。
出典は『塩鉄(エンテツ)論』です。
前漢武帝(B.C.147~B.C.87)の時、匈奴遠征や土木事業などの積極策のため、国家財政が逼迫(ヒッパク)してきました。対策として、貨幣の改鋳、新税の増設、売官・売爵(バイシャク)などが行われ、さらに塩・鉄・酒の専売も行いました。
次の昭帝(B.C.87~B.C.74:武帝晩年の子で即位時八歳)の代になると、武帝の時の対策の不満、弊害が現れてきました。
B.C.81年, 政府側代表と民間側代表とで,塩・鉄などの専売制やその他対策の存廃をめぐって論争が行われました。その記録をのちに桓寛(カンカイ)が討論形式にまとめたものが『塩鉄論』十二巻六十章です。
『塩鉄論』五十八章に、【窮鼠(キュウソ)、猫を嚙(か)む】が出てきます。
死不再生、窮鼠嚙貍。
死は再生せず。窮鼠は貍(リ:のねこ)を嚙む。
死んでしまえば生まれ変わることはありませんから、
追い詰められた鼠は貍をもかみます。
匹夫奔萬乘、舎人折弓。
匹夫(ヒップ)萬乘(バンジョウ)に奔(はし)り、舎人(シャジン)弓を折る。
(そうなると)つまらぬ男でも一万台の戦車を出す国の君主をも奔走させることになります。
誤って弓を折った舎人が罰をおそれてかえって主人を殺すことにもなりかねません。
陳勝呉廣是也。
陳勝(チンショウ)・呉廣(ゴコウ)是れ也。
陳勝・呉廣がこの例です。