人は窮地に追い詰められると、うそをつく、という意味です。
出典は『荀子』哀公篇です。
魯の定公(B.C.509~B.C.495)と顏淵(B.C.521~B.C.481:孔子の門弟中、最も優れ、徳にすぐれていたが孔子より先に亡くなりました)との対話の中のお話です。
定公曰、善。可得少進乎。
定公曰く、善し。少(すこ)しく進むを得可きか、と。
定公は、なるほど、もっともだ。時に今少し、その話を詳しく聞かせていただきたい。
顏淵對曰、臣聞之、
顏淵對(こた)へて曰く、臣之を聞く、
顔淵が答えて言うには、私は、こう聞いております、
鳥窮則啄、
鳥、窮すれば則ち啄(タク)し、
鳥は窮地に追い詰められると、嘴(くちばし)で突っつきかかってくるし、
獸窮則攫、
獸、窮すれば則ち攫(カク)し、
獸は窮地に追い詰められると、攫(つか)みかかってくるし、
人窮則詐。
人、窮すれば則ち詐(いつは)る、と。
人は窮地に追い詰められると、ウソを吐(つ)くと言うことです。
自古及今、
古(いにしへ)より今に及ぶまで、
およそ昔から今に至るまで、
未有窮其下而無危者也。
未だ其の下(しも)を窮せしめて而(しか)も能く危きこと無き者有らざるなり、と。
いまだかつて下に仕える者を苦しめ痛めつけて、
それで危険に陥らずに済んだ上司という者はありませんでした。