愚かな者でも、多くの考えの中には、一つくらいは良い考えがあるということを表す四字熟語です。
出典は『史記』の淮陰(ワイイン)侯列伝です。
この淮陰侯列伝の中には、【国士無双】、【背水之陣】、【狡兎走狗:コウトソウク】、の四字熟語や
【敗軍の将、兵を語らず】、【騏驥(キキ)の跼蠋(キョクチョク:ためらい)は駑馬の安歩に如かず】
【多々益々弁ず】などの名言が使われています。
淮陰侯:韓信が背水の陣で趙軍を破り、広武君:李左車(リサシャ)将軍を生け捕りにしました。
捕えた将軍・李左車に韓信は次の標的である、燕、齊の攻略方法について教えを請いました。
将軍・李左車は【敗軍の将、兵を語らず】、といって断りますが、韓信の断っての願いで、口を開きました。
私は、【知者も千慮に必ず一失あり、愚者も千慮に必ず一得あり】と聞いております。ですから、
【狂人の言葉であっても、聖人はこれを選択する】と申すのです。
多分、私の計は必ずしも用いられる価値がないかもしれませんが、誠心を披瀝いたしましょう。
語った方法は
① 戦争を一時中止して、兵を休めること。
② 戦争で、親を失った孤児の面倒を見て、いたわること。
② そうすれば、百里四方から牛や酒が献上されることでしょう。
③ その献上品を将校連中、兵卒たちにふるまわれることです。
④ そのようにして趙で民心を得てから、燕へ向う姿勢を示し、燕を威圧します。
⑤ その一方で弁士を燕へ派遣し、こちらの軍が有利であることを宣伝いたしますれば、
燕は必ずや服従するでしょう。
戦争では、示威を先にして、武力行使を後にする場合がございます。
今回はそうなさるべきでしょう。
韓信は李左車の計略を全て実行し、機を見て燕へ使者を派遣しました。
燕王臧荼(ゾウト)は勝ち目のないことを悟り、高祖3年(B.C.204年)、簡単に服従しました。