良いものとつまらないもの、あるいは優れたものと劣ったものが、入り混じっていることのたとえです。
東晉の道教研究家・葛洪(カッコウ、283年~343年)が著した『抱朴子:ホウボクシ』に出ています。
『素朴を抱く子(先生)』と言う意味で、世間の汚濁に汚されないということから周りの人がそう呼んだので、
自ら号とし、書名としたそうです。
或いは詩賦(シフ)浅近の細文を貴愛(キアイ)し、
ある人は、あさはかで俗っぽい詩や賦を貴び愛し、
深美富博(フハク)の子書を忽薄(コツハク:あなどり軽んず)す。
美しく深い意義深い諸子の書を軽視し、
磋切(サセツ:)の至言を以て騃拙(ガイセツ)と為し、
めになる、最も道理にあった言葉をばかにして、
虚華(キョカ)の小弁を以て妍巧(ケンコウ:美しく巧み)と為し、
そらぞらしくつまらない弁舌を美しく巧みであるとし、
真偽顚倒し、【玉石混淆】す。
本物と偽物とがさかさまになり、玉と石とが混淆している。
【混】も【淆】も 「まじる」と言う意味です。
【混淆】は入り混じって区別がつかなくなることです。現代表記では【淆】を「交」に置き換えて
【混交】と書きかえることがあります。意味は同じです。
衆院総選挙(12月4日公示、16日投開票)を前に、11党による党首討論会が30日、日本記者クラブ主催で開かれました。
【玉石混淆】などと言うつもりは、微塵もありません。