【遠水(エンスイ)は近火(キンカ)を救はず】を略して【遠水近火】と言います。
遠いところにある水では近くの火事を消すのに間に合わない、と言う意味から
遠くのものは、急場の役に立たないことを表す四字熟語です。
『韓非子』説林・上に見える言葉です。
魯(ロ)の穆公(ボクコウ:B.C.407~B.C.377)、衆(シュウ)公子をして或いは晉に宦(カン)し、或いは荊(ケイ)に宦せしむ。
(魯の国は、隣国の斉の脅威にさらされていたため)魯の穆公はその息子達を晉と荊とに
仕えさせることにした。
犁鉏(リショ)曰く、人を越より仮りて溺子(デキシ)を救はんとせば、
犁鉏が言いました、人を越から借りてきて、溺れている子を助けようとするのでは、
越人(エツひと)善く游(およ)ぐと雖(いえど)も、子は必ず生きざらむ。
越の人がいかに泳ぎがうまいからといっても、溺れている子を助けることは出来ない。
火を失して水を海より取らば、海水多しと雖も、
火事になったのに海の水を引こうとするのでは、海に水がいっぱいあるからといって、
火は必ず滅(き)えざらむ。【遠水は近火を救はざればなり】。
その火事は消えない。【遠いところにある水では近くの火事を消すのに間に合わない】。
今、晉と荊とは強しと雖も、而も斉は近し。
いま、(魯と遠く隔たっている)晉と荊は強国であるが、齊(の方が直ぐとなりで)近過ぎる。
魯の患(カン)其れ救はれざらんか、と。
(魯が隣国の斉に攻められたときには)魯の心配は片付かないであろう。
今でも時折聞きます、「遠くの親戚より、近くの他人」という言葉は、この「遠水は近火を救はず」と同意です。
こちらは、仏書『明心宝鑑:メイシンホウカン』下・省心、の
「遠水は近火を救い難く、遠親は近隣に如かず」
という語から、「遠くの親類より近くの他人」となったようです。