【頂(いただき)を摩(ま)して踵(くびす)に放(いた)る】と読みます。
頭の先から足のかかとまですり減らすほど、自分の身を犠牲にして、人の為に尽くすことをいう言葉です。
出典は『孟子』盡心(ジンシン)章句上です。
孟子(モウシ:B.C.372~B.C.289)が墨子(ボクシ:B.C.468~B.C.376)を評した文章の中で使われています。
孟子曰、楊子取爲我。
孟子曰く、楊子は我が爲にす。
孟子は言いました。楊子は(極端な個人主義者であるから)万事自分本位にしか考えない。
拔一毛而利天下、不爲也。
一毛を拔きて天下を利するも、為さざるなり。
だから、たといわずか毛一本を抜くだけで天下のためになるとしても、決してそれをしない。
墨子兼愛、摩頂放踵、利天下爲之。
墨子は兼ね愛す、頂を摩して踵に放とも、天下を利することは之を為(な)す。
ところが、墨子は(これと反対で、無差別の博愛主義者であるから)、たとい頭の天辺から
足の踵まですりへらしても、天下の為とあればそれをするのである。