日(ひ)を曠(むな)しくして久(ひさ)しきに弥(わた)る、と読みまして、むだに長期間の日を過ごすことを表します。出典は『史記』刺客列伝の荊軻傳です。
燕の太子丹は子供のころ趙の国に人質に出されました。同じころ趙で生まれ、後に秦始皇帝となる
(秦王)政とは大の仲良しでした。成長するに及んで政は秦王となりましたが、丹は燕の太子のまま、
今度は秦に人質に出されました。
処遇の悪さが原因で太子丹の心に秦王政暗殺の炎が燃え上がりました。
秦の将軍樊於期(ハンオキ)、知謀の田光(デンコウ)先生、筑の名手・高漸離(コウゼンリ)、稀代の
刺客・荊軻(ケイカ)。個性豊かな名脇役が織り成すドラマが始まりました。
太傅之計、曠日彌久。
太傅(タイフ)の計は、日を曠しくして久(ひさ)しきに弥(わた)る。
太傅の計略では、日月をむなしく過ごすだけで長期間にわたります。
心惛然恐、不能須臾
心、惛然(コンゼン)として恐れ、須臾(シュユ)なること能はざる、と。
私の心は、秦に対する怒りと憂えに乱れて、須臾(しばらく)もじっとしてはおれないのだ。
(目前にさし迫る危険が恐ろしくて、少しも待つことができません。)