何か物を尋ねられたら、その隅々まで問いつくして、十分に納得のいくように説明する、というのが孔子の基本のようです。『論語』子罕篇の言葉です。
子曰、
子日く、
孔子が言いました、
吾有知乎哉。
吾 知ること有らんや。
自分は物知りであろうか、いやそうでない。
無知也。
知ること無きなり。
何も知っていないのだ。
有鄙夫問於我、空空如也。
鄙夫(ヒフ)有り、我に問ふに、空空(コウコウ)如(ジョ)たり。
何の知識もないと思われる人が、真心をもって私に尋ねるとしたら、
我叩其兩端、而竭焉 。
我其の両端を叩いて竭くす。
私はその隅々まで叩きつくしてきき、私の知っている限りを残すところなく教えるである。