枝道がが多いため逃げた羊を見失うように、どれを選んだらよいか迷うことのたとえです。
出典は『列子』説符(セップ)です。『列子』は『老子』『荘子』と並ぶ道家の書物です。周の列禦寇(レツギョコウ)の撰とされるが詳細は不明。
楊朱(ヨウシュ)の隣人、羊を亡(に)がせり。
楊子の隣の人が、羊を逃がしてしまいました。
既にその黨(トウ)を率(ひき)ゐ,又楊子の豎(ジュ:下僕達)を請ひて、之(これ)を追ふ。
自分の家の者を引き連れ、更に楊子の家の者も頼んで、羊を追い掛けました。
楊子曰く、嘻(ああ)、一羊を亡がすに、何ぞ追う者の衆(おお)きや、と。
羊一匹逃がしただけで、なんでそんなに多勢で追いかけるのか
鄰人曰く、歧路多し、と。
隣の人は、枝路(えだみち)が多いので、と言いました。
既に反(かへ)る。
やがて帰ってきた。
羊を獲(え)たるかと問ふに、曰く、之を亡がせり、と。
羊をつかまえたか、と尋ねると、逃がしてしまった、と言いました。
曰く、奚(なん)ぞ之を亡がせる、と。
どうして逃がしてしまったのか、と尋ねると
曰く、歧路の中に、又歧有り。吾ゆく所を知らず。反る所以(ゆえん)なり、と。
岐路の途中にまた岐路があって、どちらへ逃げたか分からない。それで
帰ってきた、と言いました。
中国の春秋戦国時代の思想家、楊朱(ヨウシュ:生没年未詳、B.C.370頃? - B.C.319頃? )が、目標は
羊一匹であっても、岐(わか)れ路、岐れ路へと迷いこんで追求するようでは、結局それを見失ってしまう。
学問の道もそのようなもので、帰一する大事なポイントを見失うような追究の仕方は無意味であるということを悟ったというのである。
今回の衆議院選は14の政党が乱立し、選択肢が【多岐】に亘り【亡羊】のそしりを免れない状況です。