疑いながら事を行えば成功せず、疑いながら行っては名声は得られない、という意味です。
出典は『戦国策・趙策』です。
武霊王(B.C.325~B.C.299)は北方遊牧民族の騎馬隊の機動性に着目し、胡服して騎射する戦法を採用しようと考えていました。保守的な大臣たちは、外国のそれも胡(えびす)の服を着るなどとはとんでもない、と大反対でした。世評やら大臣たちの反対やらを気にして躊躇(ためら)っていたとき、肥義が進言した言葉です。
肥義曰
肥義曰く、
肥義が言いました、
臣聞之
臣之を聞く
私が聞いておりますのは
疑事無功、疑行無名。
疑事功無く、疑行名無し、と。
疑いながら事を行えば成功せず、疑いながら行っては名声は得られない、ということです。
今王即定負遺俗之慮。
今、王即ち遺俗を負ふの慮(おもんぱかり)を定む。
いま、王は古くからの風俗習慣を捨てたという非難を被ることをものともせず
決心なさったのですから、
殆毋顧天下之義矣。
殆(ほと)んど天下之義を顧みる毋かれ、と。
あまり天下のあれこれ言うのを顧慮なさいませぬよう。
そう言って、王に【胡服騎射】を遂行させました。
こうして騎射の無敵部隊が出来あがりました。
武霊王が騎馬戦法を用いて以来、他諸国もこれにならい従来の戦法は廃れて行きました。