戦争は命がけのもので、極めて危険なものだから、無闇に行うべきものではない。
【兵】は、戦争のことです。
出典は『史記』廉頗(レンパ)藺相如(リンショウジョ)列伝です。
藺相如・廉頗と並び評される、趙の名将趙奢(チョウシャ)が残した言葉です。
趙奢は、清廉潔白さをもって趙王・恵文公の弟の公子・平原君の目に止まるところとなり、抜擢されました。
趙奢は国税の管理を任されていたときに国民から公平に税金の徴収を行ったので、国は大いに潤いました。
そののち軍事上の作戦で大手柄をたて、藺相如・廉頗と同等の位を授かりました。
趙奢は軍略家としても目覚しい働きをしました。その息子は趙括(チョウカツ)という者です。
趙括は幼少のころより、兵法を学んでおり、また非凡な才能をもっていたので成人する頃には兵法全般を
網羅していて、天下広しといえども、兵法に関して自分に敵うものはあるまい、と自負していました。
趙括の母親は、息子の雄弁さと能力の高さを誇りに思っていたが、父親が息子をすこしも認めようとしない
ことが府に落ちなかった。その理由を夫に尋ねました。
奢曰、兵死地也。而括易言之。
奢曰く、兵は死地なり。而(しか)るに括(カツ)は易(たやす)く之を言ふ。
趙奢がいいました、戦いとは命がけのものだぞ。
ところが趙括は軽々しくわけもないもののように言っている。
使趙不將括卽已。
趙をして括を將とせざらしめば卽(すなは)ち已(や)む。
趙が括を将軍にしなければ、それでいいが
若必將之、破趙軍者必括也。
若(も)し必ず之を將とせば、趙の軍を破る者は必ず括ならん、と。
もしも将軍にするようなことになれば、趙の軍を破滅させるのは、外でもない括であろう。
趙王は廉頗将軍にかえて括を将軍にしました。
B.C.260年 秦の将軍:白起は趙と長平に戦い趙括を射殺し、降伏した数十万の兵を阬(あなうめ)にしてしまいました。