追儺、鬼遣は、昔 宮中の年中行事の一つでした。大晦日、疫鬼を追い払うために行われました。
大晦日を一年の締めくくりと考え、旧暦で立春を正月と考えたからです。ですから節分が大晦日になります。
これがいまの節分に「豆まき」の流れになりました。
追儺(ついな)、鬼遣(おにやらい)と呼ばれた宮中行事は、中国伝来です。
『周礼(シュウライ)』夏官(カカン)篇にある
方相氏は熊の皮をかぶり、黄金四目(シモク)、黒い上衣に朱色の裳の姿で、戈(ほこ)を執り、
楯(たて)を掲げ、多くの部下をひきい、儺(ダ)の儀を行い、そうして室内を捜索して、疫を
祓(はら)うことを掌(つかさど)る。
が元になっているのだそうです。
文中、「儺(ダ)の儀」が、疫病神を追い払う儀式で、これが日本に伝わって、追儺、鬼遣となりました。
今日2月3日は節分です。本来 節分は、立春・立夏・立秋・立冬の前日を意味します。
江戸時代以降は特に立春の前日を指す場合が多くなりました。旧暦での大晦日に当たることからでしょう。