【尺蠖(セキカク)の屈するは、もって信(の)びんことを求むるなり】と読みます。しゃくとり虫の屈(かが)むのは、後に伸びんとするためである、という意味から他日の成功を期してしばらくの間、身を屈し忍耐しなければならないたとえです。出典は『易経』繫辭傳下:第五章です。
日往則月來。月往則日來。日月相推而明生焉。
日往けば月来り、月往けば日来り、日月相い推して明(メイ)生ず。
太陽が没すれば月がのぼり、月がかくれれば太陽がのぼり、
日月がたがいに推移することによって自然に明るさが生ずる。
寒往則暑來。暑往則寒來。寒暑相推而歳成焉。
寒往けば暑来り、暑往けば寒来り、寒暑相い推して歳(とし)成る。
寒さが去れば暑さが来、暑さが去れば寒さが来、
寒暑がたがいに推移することによって自然に一年が形成される。
往者屈也。來者信也。屈信相感而利生焉。
往くとは屈するなり、来るとは信(の)ぶるなり。屈信相い感じて利生ず。
往くとはかがむことであり、来るとはのびることである。
かがんでのびることをたがいに感じてそこに大きな効果が生ずるのである。
尺蠖之屈。以求信也。
尺蠖(セキカク)の屈するは、もって信(の)びんことを求むるなり。
尺取虫が屈するのは、やがて身を伸ばさんがためである。
龍蛇之蟄。以存身也。
竜蛇(リョウダ)の蟄(かく)るるは、もって身を存するなり。
竜や蛇が冬籠りをするのは、それによってより長く身を保とうとするためである。
精義入神。以致用也。
義を精(くわ)しくし神に入るは、もって用を致すなり。
(人間も同じこと)道理をくわしくしてその真髄に徹するのを心がけるのは、
他日これを社会に役立てようとするためである。