【御(ギョ)を窺(うかが)い夫を激す】。内助の功を言います。御者の妻が、自分の夫の車を御する姿を窺い見て夫を発憤させ、出世させた故事です。
2500年ほど前、中国は春秋時代の末期のエピソードとして『史記・管晏(カンアン)列伝』に次のような話で【御を窺い夫を激す】が使われています。
「晏子(あんし)が宰相(さいしょう)となって外出したときのこと。晏子の御者(ぎょしゃ)の妻は門の隙間から夫の様子を窺(うかが)っていました。夫は宰相の御者として大きな幌の側に立ち、4頭の馬に鞭打ち意気揚揚として甚(はなは)だ得意げだった」
仕事を終えて家に帰る時も得意満面、意気揚揚でありました。 ところが、家に帰ってみると、とんでもないことが御者を待ちうけていました。
其妻請去。
其の妻去らんことを請ふ。
妻は離婚したいと申し出た。
夫問其故。
夫其の故を問ふ。
夫は理由を聞いた。
妻曰、晏子長不満六尺、身相斉国、名顕諸侯。
妻曰く、晏子は長六尺に満たざるに、身は斉国に相たり、名を諸侯に顕す。
妻はこう言った、晏子は、身の丈六尺(約135cm)にも足りませんが、
その身は斉国の宰相として、諸侯に名高く、
今者、妾観其出、志念深矣。
今者(いま)、妾其の出づるを観るに、志念深し。
しかも先刻、私めが晏子の外出の様子を拝見しますに、思慮深そうでした。
常有以自下者。
常に以て自ら下ること有り。
そして、常に謙遜しているように見受けられました。
今、子長八尺、乃為人僕御。
今、子は長八尺なるに、乃ち人の僕御たり。
しかし今、あなたは、身長は八尺(約180cm)もありながら、
下僕としての御者に過ぎません。
然子之意自以為足。
然るに子の意自ら以て足れりと為す。
それなのに、あなたはいかにも満足そうにしておられる。
妾是以求去也。」
妾是を以て去らんことを求むるなり、と。
私めはこのために離婚したいと申し上げているのです。
其後夫自抑損。
其の後、夫自ら抑損す。
それ以来、御者は自分を抑えて謙遜になった。
晏子怪而問之。
晏子怪しみて之を問ふ。
晏子は不思議に思って問うと。
御以実対。
御実を以て対ふ。
その御者はありのままを答えたので、
晏子薦以為大夫。
晏子薦めて以て大夫と為せり。
晏子はこの御者を推薦して大夫とした。