【繡(シユウ)を衣(き)て夜(よる)行(ゆ)く】と訓読されます、立身出世して得意の絶頂にいるときにこそ、故郷に錦を飾るべきであって、それを逃したら、錦を着て夜行くようなもので、誰にもわかってもらえない。という意味です。
出典は『史記』項羽本紀です。
「鴻門の会」の後、秦の都:咸陽を滅ぼして、故郷の楚に帰ろうかどうしょうか迷っていた時の心境を表した言葉でもあります。
項王見秦宮室皆以燒殘破、
項王(項羽のことです)、秦の宮室の皆な以て焼けて残破せるを見、
項羽は秦の宮室が皆な焼けて残破しているのを見て、
又心懷思、欲東歸。
又心に懐思して、東に帰らんと欲す。
また心中故郷を思い東に帰ろうとし、
曰、富貴不歸故郷、如衣繍夜行。
曰く、富貴にして故郷に帰らざるは、繍を衣て夜行くが如し
富貴となって故郷に帰らないのは、繍(にしき)を衣(き)て夜行くようなもの、
誰知之者。
誰か之を知る者ぞ、と。
誰にも知ってもらえない。
こんな心境にいたときに、誰かが、
楚人木沐猴而冠耳。果然。
楚人は沐猴にして冠するのみ、と。果たして然り、と。
楚の奴らはサルが冠をつけたようなもんだ、と言われているが、全くその通り。
項王聞之、烹説者。
項王、之を聞き、説者を烹る。
これを聞いた項羽はその男を煮殺してしまいました。